天保 赤城録 国定忠治物語
大戸の関所破り3
忠治の住いは厳重に秘匿されていて、子分の中でも居場所を知っているものは少なかった。
国定村清五郎は忠治の最も信頼する男だった。幼い頃から近在で暴れまわった仲である。
知らせを聞いた忠治は眉をしかめ、誠に残念そうにうつむいて、無言のまま誰に相談することもなく行動に移った。
旅支度は慣れたもので、いつでもすぐに用意が出来た。清五郎に
「腕っ節の強えぇ野郎を二十人ばかりすぐに集めろ」
と命じておいて別の若者達に日光の円蔵、三ツ木の文蔵、下植木の浅次郎、山王道の民五郎、八寸の才一、神崎の友五郎、新川の秀吉、境川の安五郎それに五目牛の千代松、桐生の長吉、鹿場の安五郎、桐生のお龍 などの主だった子分に声をかけ集めさせた。
ここに名を挙げた者は、すでにこの頃数十の子分を抱えた近在の親分格でもあった。
六ッ半(午後七時)過ぎた時分には声をかけた全員が集まった。
次々に清五郎の屋敷の広間から土間に人が集まった。
すっかり旅支度になった忠治が座に現れると、それまで声高にあれこれと言い合っていた一同はいっせいにピタリと口を閉じた。
深い静寂と緊張が座敷に満ちた。
忠治は怒ったような顔で不機嫌そうに床の間の前に腰を下ろしあぐらをかいた。白の綿服に黒の襟。総髪は少し伸びて太めの髷が男らしさを際立たせている。
いつもながら先ず口火を切ったのは日光の円蔵だった。
日光の円蔵は忠次よりも八歳年長の国定一家の軍師と呼ばれる男である。坊主崩れで、知識豊富な男である。晃円という名で修行していたが、我慢しきれず出奔し僧名の晃円の晃を日光と分解し、日光の円蔵と名乗っている。3年前に忠治と出会い、忠治の招きで国定一家の客分となり、そのまま一家の重鎮となっていた。小柄で敏捷、足が早く長い流浪生活で諸国の事情にも通じている。
「清五郎さんから聞きやしたが、茅場の長兵衛親分さんが中野で殺されたんですかい」
「ああ、そうらしい」いかにも無念そうに忠治が頷き、
「中野の原七って野郎にやられたんだそうだ」と国定村清五郎が言った。
原七と言うのは信州の北端、越後、上州、善光寺道の分岐点となる宿場町、信州中野で本陣宿を営み、代官から町の治安を任されているという十手持ち中野の忠兵衛の倅の名である。
中野の忠兵衛の本業は本陣宿の亭主であるが、実情は多くの子分を抱えるやくざ家業。二足も三足もわらじを履く土地の実力者である。
2年前に島村の伊三郎を殺害して信州に逃げた忠治は他国の気楽さも手伝って三ツ木の文蔵と共に暴れまわり二人で博打に明け暮れし、負ければ賭場荒らしまでやっていた。そんな暮らしにも飽きて上州に帰る道すがら、信州中野でこれが信州の暴れ納めと路銀の足しにと忠兵衛の賭場を荒らし、寺銭を奪って上州に帰ってきた経緯があった。
上州草津と信州中野は地理的にも近く、草津の湯治、善光寺参り、越後の港と人の行き来の多いところであるため博打打ちには実入りの良い土地柄である。それだけに茅場の長兵衛と中野の忠兵衛の両者の小競り合いは常のことであった。
「中野の忠兵衛の倅だな、あの餓鬼か」三ツ木の文蔵が苦々しい顔で言った。三ツ木の文蔵が二年前に叩きのめした19歳の小倅を思い出していた。
「文蔵、おめえは欠かせねえな。」頬に薄笑みを浮かべて忠治が言うと、文蔵は得意そうに周りを見回した。
「親分!あっしも連れて行っておくなさい!」大きな声がいち座の中から上がった。下植木の浅次郎、人呼んで板割の浅太郎。
まだ二十歳そこそこの若者である。忠次のお気に入りであることは一家の中でも評判である。
下植木の浅次郎が意気込んで腕まくりをしてみせると
忠治は少し間を置いて。
「連れてゆくやつはもう決めている。てめえはしっかり留守を守ってろ」
「待ってくれ親分、茅場の長兵衛さんは・・・」
そう言いかけた浅次郎をさえぎって日光の円蔵が
「親分自ら出張る時じゃあねえ。こんなときこそ民五郎さんや浅次さんがいるんでしょうに」と言った。
忠治は不機嫌そうに俯いて暫し沈黙した。
「円蔵どん、忠治はこう言う男だと一番良く知っているじゃあねえのかい。子分兄弟が、男同士相手を見込んで盃を交わしたんだぜ。代理を立てて仇討とうなんざ俺らしくねえじゃあねえか」
「そいつはよーく解っちゃいるが、今の親分は随分でかくなっちまったからねえ」と円蔵。
「余計なあことは言はねえでくんな、なあ円蔵どん。今晩中に文蔵に才一、それに若けえもん連れて早速たつぜ」
日光の円蔵は頭を下げるより他無かった。他の子分たちもざわつきはしたが特に発言するものはなかった。
「三日四日で帰ぇってくらあ。五日もかかるめえ。原七の首取ってくるぜ」
国定忠治物語 3 了。