天保 赤城録 国定忠治物語 2

天保 赤城録 国定忠治物語

大戸の関所破り 二

茅場の長兵衛というのは

天保の温泉番付に西の大関である有馬温泉と並んで東の大関と列せられた草津温泉を縄張りとする博徒である。暇と金を持て余した湯治客を相手に賭場を開帳して、子分衆も数十人抱えて、かなり羽振りが良かった。

遡ること二年前。

忠治は大前田の英五郎の口添えもあって伊勢崎在利根川辺りの百々村を縄張りとする百々村の紋次のもとに身を寄せて、自ら頭角を表し、古株の子分衆もそれを認めるようになり、紋次の引退を受けて、その後釜の親分となっていた。そこで縄張りを接していた島村の伊三郎と長いいざこざの末、忠治が伊三郎を殺した。

島村の伊三郎といえば遠方まで名の知れた侠客だった。それを駆け出しの忠治が討ったというので忠治の名前は関東ばかりか全国に知れ渡った。それだけにお上の探索は一層厳しくなり、事が収まるのを待つために兇状旅に信州に身を隠した。信州松本に寛太というこれも売出し中の博奕打ちがいてそこへ向かう通り道、草津の町で忠治と長兵衛が出会い、島村の伊三郎の一件も伝わっていたので意気投合して忠治と長兵衛は盃を交わし兄弟となっていた。

そして昨夜。
茅場の長兵衛が討たれて、一家一同が仇討ち準備をする中、代貸を務める袋倉の竹蔵が皆に声掛けし「一両日待とう、先ずは国定の伯父貴の耳に入れてから」ということになり

「喜助、足の早ぇところでお前ぇに頼む。忠治親分にこのこと伝えてどうすりゃいいのか聞いてきてくれ。俺等は全員死んでも仇討ちしてえと伝えて来いよ」

喜助と呼ばれた若者はまだ二十歳(はたち)になってはいないであろう幼さを残す顔をクシャクシャにして何度も頷いた。

「ヘイ・・・、ぅへい大急ぎで・・行ってきやす」

喜助はハラハラと涙を流しながら駆け通した。休むことも忘れて茅場の長兵衛の恩に報いてぇとその一心で駆け通した。

国定村に到着したのは翌日、夜が明けて、昼も過ぎ日もやや傾いた申の刻(午後3時ころ)すぎだった。

憔悴して青息吐息の長兵衛の子分喜助であったが、国定一家の屋敷を見つけると玄関前の軒下で息をととのえて、大きく息を吸い込んで、笠を取り、先づは外から大声で、「表より、大声発しお許し蒙りやす。御当所国定忠治親分さんはこちらでよろしゅうございましょうか」

太く濃い墨で「国定」と大書された障子の井桁格子の引き戸を開けて中から若い衆が出てきて、

「へい、国定忠治親分という方はこの屋はにおりやせんが、国定村清五郎がこの屋の主にござんす。同じ国定村の住人でございます。話も通じましょう、どうぞお入りなせえやし」

国定忠治の居所は明かさないのが決まりなのだ。

国定村清五郎の身内の若者はそう言って喜助に敷居内に入るよう勧めた。
敷居をまたぐのに三度遠慮するやりとりがあってから「そうですかいそれでは敷居内ご免蒙りやす」

中には上り框に兄貴分らしい男が腰をかがめて右手を差し出した。

敷居内の土間に至って、喜助は身を低くし長脇差を地面に置いて、その男に向かってぐっと腰を落とし、左手を左足付け根の辺りに置き右手は掌を上に向け親指は開かず折って掌の上にまげて突き出す。これで歴としたやくざ渡世の人間であることを示す。

「お控えなすって、お控えなすっておくんなさい。仁義でございます。どうぞお控えなすっておくんなさいまし。」

喜助と上り框の男と

「そちらこそ」と二回かえしてから三度目に喜助から「それでは、控えさせていただきやす」

このやり取りの間に奥から国定村清五郎が二人の若い男を従えて出てきた。

「早速、お控えあってありがとうござんす。国定村清五郎親分さんでご免蒙りやす」控えた男と奥から出てきた清五郎を等分に見やって喜助は続けた。

「お名前えばかりで、国定村清五郎親分さんとははじめてのお目通り叶います。手前え、上州草津に住まい居ります。渡世につきましては茅場の長兵衛の身内でございます。姓名発しまするお許し蒙りやして、喜助と印しやす。今般長兵衛の身に大事ありやして急ぎ跳んでめえりやしたもんにござんす。お見知り置かれまして万事お引き立てのほどお願い奉ります」

喜助の仁義を受けている男は菊次といった。その男を目でどかせ、後ろから国定村清五郎が

「ご念のいったお言葉、高いところよりご免蒙りやす。初めてのお目にかかりやす。上州国定村を生国といたします清五郎です。国定忠治とはいささか関わりのあるものでござんす」

清五郎は忠治と同じ年で天保七年のこの年二十七歳である。国定忠治とは同村生まれの同じ年、幼馴染である。

「どうも、話が急ぎのようでござんすね。途中はしょって早速聞かせておくんなさい」

「へっ、お言葉に添いやして、実はきんな(昨日)の晩、親分茅場の長兵衛が殺されやした。仇は中野の原七(はらしち)って野郎で、中野の貸元の倅なんでやす」

「いろいろあったのは聞いてる」

ぞんざいな口調になって清五郎が返した。

清五郎は忠治と一緒に草津に行ったとき一度だけ長兵衛と会っていた。

長兵衛は忠治より三つ年長で二年前に忠治六分長兵衛四分の兄弟の盃を交わしていた。

「長兵衛さんが・・」

「へえ、三人だけ連れて親分が中野の賭場まで出かけていったんでさぁ。中野の町の神社の縁日で、近隣の親分衆や旦那衆が集まっていたようです。長兵衛親分にも中野の貸元から声がかかってでかけていったんでござんす。それもこれも八州廻りと中野の代官の仕組んだことだとあとの噂で聞いておりやす。原七が親分を取り囲んで滅多矢鱈に切り刻んだと聞いておりやす。生き残った連中が戸板で草津まで親分を連れて帰ったけれど、もうとっくに息はねえ・・・・」

喜助は悔しさがこみ上げてきたのだろう言葉を詰まらせて俯いた。

「早ぇ知らせをありがとよ。奥で湯漬けでも食って、一眠りしてくんな。」

早速国定忠治の下に知らせを走らせた。

大戸の関所破り2 了。

 

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