天保 赤城録 国定忠治物語 1
大戸の関所破り 一
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重畳と続く樹々が真っ黒な屏風となって街道を覆っている。
夜明け前の最も暗い時間。
あたりは一寸先さえさだかではない暗闇である。
見上げれば、木々の木末と夜空の境目が黒の極みの違いで分かる。
空は、分厚い真っ黒な雲が遮って、星もない。
寝ぼけた野鳥がギーと啼き、夜行性の小動物や昆虫が這う音が静寂を一層深める。
その真っ暗闇の静寂を破って
ザッ、ザッ、ザッ、ザ、ザ、ザ、ザ・・・・。
地を蹴る音が響く。
足音の響きから、かなりの人数のようだ。
星も無い一寸先さえ見えぬ闇の街道に冷気を裂いて一団が北へ突き進む。
かなりの急ぎ旅なのだろう。休むことなく一心不乱に進み続けている。
ハッ、ハッ、ハッ、ハ、ハ、ハ、ハ・・・・。
ザッ、ザッ、ザッ、ザ、ザ、ザ、ザ・・・・。
息遣いと足音が小気味よく揃っている。
まったく無言である。
前を行く足音を信じて、この早足で闇をも怖じずに進んでいる。
ずっと、夜がな夜っぴてこの闇の森のなかの細い街道を進んできたのだろう。
一団が過ぎ去っだ後には、突き破られた冷気が再び街道に満ちた。
やがて・・・・・・・。
木末の端にうっすら明かりを感じるようになって、前を行く仲間の笠が夜目に白く浮かんで見えるようになった。
見れば、みな一様に笠をかむり、道中合羽をたなびかせ、手甲に脚絆。腰には長脇差(ながどす)を差している。
白い息が後ろに流れてゆく。一糸乱れぬ足の運びである。
ただの急ぎ旅ではなさそうなのは明るさが増すにつれて見えてきた。
あるものは手に槍を持っている。鉄砲もある。さらに物騒な鎖鎌さえ背にしているものもある。槍は二三ではないし、突き棒、刺叉のようなものもある。
赤城の山を暮の四半刻に出発して、榛名山の裾を大きく回って、大室から三の倉、闇夜が開けようとする頃。
もうすぐ大戸の関所到る。
あたりはやがて日の出前の朝の明るさに満ちてきた。
明るくなってきたな、と言う囁きさえなく一団は先頭の男に導かれるままに相変わらぬ速さで、無言のまま白い息を吐きながら前かがみになって先を急いでいた。
先頭を行く男、笠を目深にかぶり、じっと前方を見据え、時折大きく口を開け冷気を吸い込み、つま先で勢いよく土を蹴り大股にサッサ、ザッザとゆく。いかにも急ぎ旅に慣れている風情である。
よく見れば、ふっくらした頬は、色白く旅慣れしている様子の割に旅焼けしていない。目は鋭く切れ長で眉は濃く眉尻がスッと上がっている。鼻筋とおり髭の剃り跡も青みがかって、少しのびはじめた髭が男前をあげている。背は五尺五寸ばかり、肉付きは頗る良い。三十歳を出てはいまい。それでも身についた貫禄があって一目でこの集団の首魁であろうことが察せられた。
その後ろに二人続き、またその後ろに十八人が続いて、総勢二十一人が北に向かって進み続ける。
森が一瞬途切れた小さな土地に無理やり作った幾段かの棚田がある。こんな場所にも百姓はたくましくしがみついている。
あたりが明るくなって来たのを見計らって、百姓が田んぼの土を掘り返しに出てきた。しかし 、今年もここ数年続く凶作の例に漏れず、いや今年はこれまでと比べものにならないくらい春が遅い。春の名を聞いてから一ト月以上経つというのに霜が降り土の表面はカチカチに固まっていた。
ここ三年続けて日がさすことが非常に少なく、気温も上がらず凶作続きであった。今年はそれに止めを刺すような最悪の年になりそうだった。
後に、天保の大飢饉と呼ばれる飢饉に襲われていた。
食えるものは食い尽くし、四周の村々から餓死者や兆散する農民の数が日増しに多く聞こえてくる。そんな数年である。
百姓は田の土の様子を足で踏みつけてたしかめてから、ため息混じりに鍬を振り下ろす。
ガッツ と音をたて固い土に鍬の刃がわずかに食い込む
「いま少し待って、土地がやわくなってからにすべえ」
掘っ立て小屋から鍬を引きずって出てきたガリガリに痩せた女房に声をかける。
ため息を吐いて、女房と硬い田んぼから目を上げて、空の様子を見ようと顔を上げたとき、
段々畑の最上段にある街道に人影を見て、その人影が何人も続き足音を響かせ、また森の中に吸い込まれていった。物々しい格好の一団が北を指して風のように消えた。
「また、無宿もんが何かしでかすのかのう」不安そうに独り言してその姿を見送った。
茅場の長兵衛が信州中野で討たれた。
という知らせが届いたのは昨日のことだった。
第一話 了